きまぐれ日記

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...... 2008年06月20日 の日記 ......
■ なんか届いたぜ。   [ NO. 2008062001-1 ]

今日帰ったら、こんなものが玄関に置いてあった。

 

…ああ、完全に忘れてたよ。

いつだか応募したひぐらしの全員応募サービスっすね、はいはい!

ホント、全く頭に無かったよ。手にとってもしばらくピンと来なかったしw

 

そんなわけで届きました『ひぐらしのなく頃に れなぱん/罰恋し編』。表紙がこちら。

鈴羅木かりん氏…鬼隠し他を描いてる先生ですね。かりん氏が“れなぱん”を漫画にしております。

冊子をくるっとひっくり返すと、方條ゆとり氏が描く“罰恋し編”がリバーシブル(?)で収録されてます。

 

内容は…かなりぶっ飛んでますねww

れなぱん/罰恋し編 共に、ソウルブラザーズが頑張り過ぎです。

特に、方條氏の罰恋し編が…色々とアウアウで笑えますよw

 

うん、なんだかひぐらしが久しぶりにやりたくなってきた…かもしれない。

 

 

長たらしい愚痴が続くので、嫌な人は読まないほうがいいよ。

 

 

 

この先、一千里

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても…本当に久しぶりにひぐらしに関わったなぁ…。

今では、ひぐらしに替わって東方シリーズを同人界の金字塔として崇めているんで、ひぐらしに触れるのはいたく久しぶりでございますのですよ。

なんと言いますか…東方の生みの親であるZUN氏に出会ってから、ひぐらしを邪険にする私がここにいます。

 

…我が師匠と仰ぐ(そんな勝手に…)黒原様に敵対する発言になりますが、「竜騎士07氏が金利主義に走った時点でひぐらしのなく頃には死んでしまった」 そう、私は考えている。

最近、やたらと実写化する漫画を多く耳にする気がする。ネギま!・地獄少女・最終兵器彼女なんかがそうだ。

原作者には、純粋に自分の作品をもっと広い層の人間に見てもらいたいという気持ちもあるのだろう。それは解る。が、実写化までするというのは私には些か理解し難い。

劇場公開というメディアは、ゲーム・アニメよりも一般大衆向けのメディアである。これら一連の実写化は、ゲームやアニメに関わりを持たないオタク以外の層を狙ってのことだろう。

 

しかし、実写化されたその作品は、本当にその作品そのものなのだろうか?

ひぐらし等をはじめとする作品たちは、元々2次元世界で生まれたもの。ストーリー・登場人物・世界観、その他全てが2次元世界の出身なのである。

2次元は、3次元(現実)では起こりえない現象や、物理法則など、創造者の思うままの理で成り立っている。例えば、10歳の魔法先生が居たり、地獄から来た少女が居たり、突然最終兵器に改造されてしまった女子高生が居たり、といった具合に、3次元では表現することが不可能な描写で構成することが可能なのが、2次元作品なのである。

これら全ての要因を、3次元でカバーしきれるかといえば、カバー出来るわけがない。

ストーリー、世界観ならば、なんとか互換することは可能かもしれない。しかし、最大の問題は『登場キャラクター』だ。

なぜならば、漫画やアニメ、その他2次元の立ち絵が存在するキャラクターの容姿は、2次元でしか表現することが不可能だからである。

例えば、ポケモンのピカチュウを例にとってみよう。ピカチュウは、『黄色い身体の電気ねずみ』という設定の下に創造されたキャラクターであるが、いざポケモンを実写化しようとなると、ピカチュウはどうなるだろうか。

2次元の人間を3次元の人間で表現するのと同じように、2次元のネズミは3次元のネズミでやろう。そうなると、真っ黄色に体毛をカラーリングされた奇妙なドブネズミが出来上がるわけだ。

では訊こう、これは『ピカチュウ』か?無論違うだろう。所詮は『黄色いドブネズミ』に過ぎない。

それはというのは、2次元キャラというものは、極度のデフォルメによってその容姿が形作られている為だ。リアル志向の絵柄ならばまだしも、俗に言う“萌え絵”となれば、さらに3次元とのディティールの差は如実になる。

その顔立ち、髪型、体形、全てが2次元のディティールで表現されているキャラを、3次元の世界で模倣しても、似せることが出来るのは精々服装ぐらいなものであろう。それでは、只のコスプレに過ぎないのだ。

つまり、3次元化された2次元キャラはもうそのキャラではなく、単なる『そのキャラのコスプレをした別モノ』に成り果ててしまう。

このように、2次元の要素を3次元に持ち出してきたところで、それはもう別の物と成り果ててしまうのだと私は思っている。


面白い作品というのは、何もストーリーの出来が素晴らしいという事だけではなく、登場するキャラクターの魅力の分も大きいと思うのだ。ストーリーと同列とは言わずとも、二番目に重要な要素であろう。

ところが、実写化されるとそれがどうなるだろうか。ストーリーはあれど、登場人物は只の偽者。三次元女が原作のキャラになりきって、『はうぅ〜』だの『あうあう』だのと擬音を発している様は、酷く醜く映る。

それでは、元の作品として成り立たないではないか。作品が死んでしまうではないか。
2次元だから許されるのであって、3次元でそれを表現することは出来ない。それが、2次作品だと思うのだ。

では、死んだ作品で作者は何を得ようというのだろうか?

あまり言いたくはないが、『金』だろう。

人気の2次元作品に目をつけた映画制作会社が、原作者を掴まえて現金をちらつかせ実写化を持ちかける。大金に目が眩んだ原作者は、金と引き換えに自分の作品を殺し、製作会社はまんまと製作権を捥ぎ取る。

これが、実写化の大体の経緯なのだろうと私は思っている。

 

もっと…自分の作品に誇りとプライドを持って欲しい。

素晴らしい名作が生みの親の元を離れて一人歩き、その結果あってはならない醜態を晒して歴史から姿を消していく。

そんなの悲しすぎるじゃないか。

 

そう、私神崎は思う。

 

 

 

 


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